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「論争の展開」への感想

高橋隆夫

2004421

 

橋本様、始めまして。

高橋隆夫と申します。

突然のメール、大変失礼致します。

 

「羽生−折原論争」については多少の関心を持っており、貴サイトを見つけ、議論の発展を期待しております。

 

参加者は「プロ」−学者だけか、と思っていましたら、

鈴木あきらさんのように「素人」も発言されていたので、

同じく小生も参加権ありかな、と失礼をも省みず、メールさせて頂いております。

 

まずは、小生の立場から。

小生はごく普通の会社員(57歳)、一応、大学の経済学部を卒業したことになっております。

我々にとってウェーバーは、まさに「知の巨人」

(どこかのジャーナリスト=インチキ「虚人」ではありません!)

でありまして、ウェーバーを読むということは、難解への挑戦として

憧憬の対象であり続けています。

 

「プロテスタンティズムの倫理」は、これまでに2回通読しています。

1度目は学生時代、河出書房版「世界の大思想」シリーズの安倍行蔵訳、

2度目は89年、大塚先生の岩波文庫の改訳版が出た時。

この時は読了後、「俺の頭もまだこの本が読み通せる程度にはボケていないのだ」

と、自分をほめてやった記憶があります!

 

さて、昨年末、書店で「山本七平賞受賞」と帯を付けた羽入本を見つけ、

購読した時は、確かに面白かった。

しかし、読了後「これはえらいこっちゃ、これが本当のはずはない、

もし、本当だったら、我々の知の憧れ、知の巨人は一体どうなるのだ、

世間ではどう評価されているんだろう、

『山本七平賞』というが、山本ベンダサンはインチキだが、

山本書店は真面目な出版社だったしどの程度のものなのか」

などと考えて、今は便利ですねえ、インターネットで調べると、

折原先生がちょうど反論書を出版されたということを知り、

こちらは書店で見つけられなかったので、ネットで購入して読みました。

 

小生、これまで不勉強にして、折原先生を存じ上げませんでしたが、

ありがとうございました、誤った判断を持ち続けないでいることが出来ました。

学者としては「素人」ですが、読者としてはこの道50年の経歴ありです。

読書人としての判定としては、折原先生の完勝です。

 

と、ここまでは鈴木あきらさんと同じような結論に至ったように見えますが、

ちょっと待って下さい。

 

もし、「犯罪」本の著者がジャーナリストだったり、作家なのだったら、

それでもかまわないのかも知れません。

(それでもよくない、ということは後で書きます。)

 

しかし、羽入氏の経歴をネットで調べると、

現在、某大学の主任教授をなさっているではありませんか。

学生に「厳密性と確実性に基づく論理的及び客観的な思考能力を高め」ることを

教育されている訳です。

 

その教育者が自分の著書に対する本質的な反論を受けて、

しかも論議の場所がインターネット上に公開されているというのに、

当サイトで堂々と自らの見解を明らかにしない、

というのは、一体どういうことでしょう。

このサイトに限らず、ネットでサーチする限りは、

羽入氏からの反論を見つけることはできません。

 

(或いは、今忙しくて時間がないから、ということなのかもしれませんが、

折原先生、雀部先生共時間の余裕などない中、

『学』のために真摯に取り組んでおられるのです。対決すべきです。)

 

鈴木あきら氏が、ちょうど竹内久美子の例を出してくれているので、

これにのっとって話をしてみますが、

鈴木氏のように「面白ければいいじゃないか」というのは現代の悪しき風潮だと思います。

 

竹内久美子の著書は「生物学風に味付けされた」社会評論ですが、

この「生物『学』風」という所が問題なのです。

彼女が、世の男女のなりわいについて、どのように評しようが、本人の自由ですが、

そこに学問=『学』の装いをまとわせていることが大きな問題です。

 

しかも、それは著者だけの問題ではなく、読者の方もそのような書物を読んで、

単なる「ヨタ本(失礼!)」を読んだのではなく、

生物学の一端に触れたような、ある種知的な自己満足を得られる。

この種の本はそのような目的で出版されている。)

 

「大衆社会」における『知』の取り扱われ方が、ここに現れているような気がします。

 

鈴木氏は竹内氏のことを「動物行動学者に連なる文脈で捉えている人はいない」といいますが、

今でも読者の大半は「生物学者」or「生物学の専門家」と思っているのではないでしょうか。

少なくとも、彼女の愛読者が、読んだことのない人に彼女をすすめる時には、

「語り口のうまい芸人ですよ」とは勧めないでしょう。

「『遺伝学に関連する』面白い本があるんだ」と勧めませんか?

いい方を変えれば、「推理小説のように面白い遺伝学の本」として読まれているのが

実際ではないでしょうか。

 

「学」を装った口当たりのいい論評、しかもそれが旧来の常識を覆す!

(そして、且、その結論は読者の居場所を肯定し、居心地を良くさせる。)

他にも色々ありそうに見えてきませんか。

 

小生は、「犯罪」本が(そしてその著者も)そのような「面白い知的な本(著者)」として、

世に認知されてはいけない、と思うのです。

 

竹内久美子問題も、当時生物学者は頑張って反論したはずですが、

「大衆社会」は現在も、彼女を受け入れていますね。

しかし、彼女のせいで「利己的遺伝子」についての考えが、世間で誤解されるなど、

彼女は現在も、生物学に対して害毒を流し続けていると、小生は考えます。

 

その意味で、折原先生が「知の誠実さ」を実践しておられる姿は、本当に敬服の念に耐えません。

 

先生が今回の論争の中から少しでも「学」のヒントを見つけられ、

「『経済と社会』の再構成」のご研究が実り多きものとなりますよう祈念し、筆をおきます。